ハッピーが溢れる毎日を

ポジティブな感情が溢れる日々を送るための雑記ブログ

自傷と自分軸

たれおです。

 

前回、「自傷痕と気遣い」というタイトルでブログを書きました。

その記事では「他人の目を気にしなくなっても、真夏でも長袖を着る理由」を紹介しました。

 

今回は、ジロジロ見られたり、コソコソ何かを言われたりしても、気にしなくなった理由についてお伝えします。

 

 

他人の目を気にしなくなった理由

 

1. その人と今後も続く関係を築かないから

ナンパなどで「すれ違った人で良い人がいたら仲良くなりたい」という場合は、話が別なのですが、街中ですれ違った人に二度会うことは滅多にないと思います。

たまに観光地だと「さっきの店にいた人が、こっちの店にも来ている」ことはありますが、二度と会わない人・交友関係を築くつもりがない人に自傷痕について何かを思われても、彼らに言いふらされて被害を受けることはありませんよね。

(「それは自傷痕だろ。そんな奴は私の店に来るな」と言うお店は稀でしょう)

 

2. 他人には関係がないから

自傷痕を見るのは不快だ」と言う人がいるそうですが、「たばこを近くで吸われるのは不快だ」とは違って健康被害を与えませんよね。

彼らが不快と思うことは彼らの問題で、あなたの問題ではありません。

「特定の人への被害」という点では、自傷行為をする人が他人の自傷痕を見て、それが引き金になる可能性はありますが、私の経験上、傷跡だけで引き金になることはなく、その背景のつらさ、苦しさを感じると引き金になります。

もちろん、例えば「鬱病」でも症状は様々で、「その症状は鬱病には無い」からと言って「鬱病ではない」とは言えないように、私の経験が皆さんに当てはまるとは限りません。

それでも私が半袖やキャミソールを着るのは、それが彼らの問題であって私の問題ではないからです。

 

例えば、太っている自分が嫌なのに食べてしまって過食嘔吐をする人が、太っている人を見て「あの人も本当はつらいんだ」と引き金になる可能性があるとして考えたときに、太っている人は外出をしてはいけないのか、という話になりますよね。

細い身体になりたい人が、すごく痩せている人を見て「自分もあの人みたいになりたい」「私は努力が足りないんだ」と拒食症になる可能性や拒食症が悪化する可能性はありますよね。

痩せている人は外出をしてはいけないのか、という話になりますよね。

 

気にしているとキリがありません。

他人のために自分が生きているわけではないからです。

人生は他人基準で生きるものではないからです。

 

 

 自傷は病気です。

つらさ、苦しさを相談できる人が周りにいたら、勇気を出して相談をしてみてください。

いない場合は、相談窓口を利用してみてください。

誰も信用できない、誰もわかってくれない、と思う人は、専門家に頼ってみましょう。

鬱病の症状がないけれど自分を傷つけてしまう人も、病院またはカウンセリングに行ってみてください。

 

 

自傷痕と気遣い

たれおです。

 

自己紹介にも書きましたが、精神疾患をもっています。

絶不調の時期に自傷行為で二の腕や太ももを切っていました。

かすり傷程度の物は赤みがなくなると目立たなくなりますが、深めの傷でケロイド状に治ったものは赤みがなくなっても皮膚に凹凸が残っているため多少は目立っていると思います。

 

以前は真夏でも長袖を着て隠していましたが、今は半袖やキャミソールを着ています。

以前は、「傷があるとジロジロ見られる」「コソコソ言われる」と人の目を気にしていました。

今は、ジロジロ見られても、コソコソ言われても、全く気にしなくなりました。

ただ、状況によっては真夏でも長袖を着ます。

 

今回は、周りを気にしなくなっても、真夏でも長袖を着る理由をお伝えします。

 

私が真夏でも長袖を着る理由

1. 職場

会社がクールビズをやっていても、人が多い事務所だと室内が暑くなるので冷房を強くして寒かったり、28度設定でも人が少ないと私には冷房が効きすぎているため寒かったり、寒がりの私は長袖が必要なるからです。

 

・・・だけではなく、腕を出すと皆さんに気を遣わせてしまうからです。

どのように接したらいいのか、仕事をあまり渡さないほうがいいのか、なにか自分がしたことや言ったことが引き金になるんじゃないか、自分を傷つけるなんて頭がおかしいから怖い、など、仕事をする上で支障が出ます。

 

これは学校でもそうではないでしょうか。

体調を気遣ってくれる優しい生徒ばかりの学校やイジメをしないことが当たり前の学校なら問題はないかもしれませんが、「気持ち悪いから」という理由で同級生からの無視などのイジメの原因にもなるでしょう。

高校までは大学ほど生徒数は多くなく、授業も移動もクラス単位なので一人がイジメを始めると、傍観者を含め、クラスの皆が加わるのではないでしょうか。

そのため、高校までは卒業するまで隠した方が良いかもしれません。

大学は人が多く、他の学部の授業を受けたり、学科内でも授業を選択できたり自由なので、大勢からの標的になることはないでしょう。

グループ内でイジメに合う場合は、大学生に善悪を諭すのは難しいので、距離を置くしかありません(※)。

私が大学生のときは、理解ができない人は離れていきましたし、理解のある人たちが周りにいたので気になりませんでした。

 

※理解ができないと一緒にいても、自分を偽らないといけなかったり、自分の善悪などの価値観と合わなかったり、無理に自分を合わせないといけません。

それでも一緒にいたいと思う方は、「どうしてそこまでして一緒にいたいのか」を掘り下げて、自分はこのままで良いのか一度見直してみましょう。

 

 

2. 親戚と会う時

「親戚」と言っても、いろんな人がいます。

・とても私を大切に思ってくれていて、もし自傷を知ると悲しすぎて私と会うのさえも辛くなるタイプ

・すごく気を遣うタイプ

・日頃から会う度に何かしら文句や人の悪口を言う面倒くさいタイプ

・無関心のタイプ

・干渉するタイプ など

 

私の親戚には上から3つのタイプがいます。

自傷行為には後悔をしていませんが、やっぱり悲しませたくないですし、せっかく親戚が集まっているのに気を遣わせて気まずい雰囲気になるのは避けたいです。

(冷房も効いているので結局は長袖が必要なのですが・・・)

 

3. 家族と外出をする時

礼儀作法や常識に欠けた行為をしている相手に対して使う「親の顔が見てみたい」という言葉がありますね。

私が腕を出して私の両親と一緒にいると、私だけではなく両親もジロジロ見られることがありました。

「親の顔を見てみたい」「自傷行為をさせる親はどんな親なんだ」状態です。

 

でも、私が自傷行為をしたのは、私の両親とは全く関係がありません。

私の頭だけの問題でした。(私は精神疾患は頭の病気だと思っています)

なので、私の両親は何も悪くないのに、彼らが非難されるのがとても嫌です。

私のことをジロジロ見ようが、コソコソ言おうが私は気にしませんが、私の母は違うようですし。

万が一、両親の職場の人が私たちを見かけたら、職場で「たれおさんの娘さんは腕に傷があるみたい」と言いふらされているかもしれません。

イジメに発展することはないと思いますが、「子どもに何かしたのだろうか」「なんという親だ」と思われるかもしれません。

両親に不快な思いをしてほしくないので、長袖を着ています。

 

 

私に対する他人の目を気にして長袖を着ているわけではなく、寒さ対策、業務への支障、親戚への気遣い、両親への気遣いで着ています。

それは、会社とは長い付き合いが続きますし、親戚・両親とは長く関係性が続くからです。

 

他人がどう思うかを気にすることと、職場の人や親戚、家族が過ごしやすくするために気を遣うことは別です。

自分が他人を気にしなくても、大切な人が過ごしやすいように気遣うことは大切なのではないかと思います。

「言い訳」を掘り下げる

たれおです。

 

今回は生理を例にして、うまく動けないときに「言い訳だ」と自分を責める自己否定についてです。 

 

生理が始まると

・腹痛や腰痛などの生理痛

・何もしたくない無気力状態

・気分の落ち込み、焦燥感などの情緒不安定

・吐き気などによる体調不良

・生理用品による不快感 など、様々な影響を受けますよね。

人によっては、生理が始める前からだったり、月のほとんどがそのような状態の人もいます。

 

私は毎日または週5日はトレーニングに行きたいのですが、生理が始めるとそうはいきません。

私は本格的に生理が始まってから1~2日目は夜用のタンポンが3~4時間程でいっぱいになるくらい(酷い時は2時間半ほどで)、経血の量が多いです。

以前はタンポンをしてでも行っていましたが、漏れてしまったことがあり(※)、それからは行かないことにしました。

※おりものシートをしていたためトレーニングのレギンスにはつきませんでした。

特に経血の量が多い方はタンポン使用中はおりものシートをつけることを強くお勧めします!

 

「生理だからトレーニングをお休みしよう」と決めると

・「今回の生理は(経験上)多くないだろうから、タンポンをしたらもしかしたら漏れずにトレーニングできるかもしれないのに」(結局トレーニング中に増えて失敗したことがあります^_^;)

・「ずる休みだ」

・「体力・筋力が落ちちゃう(※)」

などの考えが浮かび、「こんな自分はダメだ・・・」と自己否定に陥る人もいると思います。

※私の場合は仕事が事務職でほぼ1日中座りっぱなし、生理の前兆がきたらいつ急に経血の量が増えるかわからないのでトレーニングはお休み(家トレ中失敗しました^_^;)、生理が始まって3.4日間は家では基本動かないので、私はすぐ体力が落ちます・・・。

 

お休みをするときに自己否定に陥った時

①「トレーニングに行けない」「トレーニングに行きたくない」「トレーニングをしたくない」という自分の気持ちを肯定してあげる

 →「そういう日があってもいいよね」と自分に言ってあげる

②どうして「行きたくない」「したくない」と思うのかを考え、肯定してあげる

 →「生理ってだけで不快。動きたくない」⇒「なら、仕方ないよね。それもOKだよ」と掘り下げて、自分に言ってあげる

 

「いやいや、生理を理由にただサボりたい言い訳を考えているだけでしょ」と否定をする自分が出てきた場合

③否定をする自分を認めて、どうして言い訳だと思うのかを掘り下げて、視点を変えてみる

③-1. →「そう思うよね。じゃあ、どうして生理が理由じゃないって思うの?」と掘り下げる

・行くのが面倒くさい、準備が面倒くさい

・他にやりたいことがある

・(仕事の後などで)今日は疲れた 

など、生理が関係ない理由が出てきた場合⇓

③-2. →「そういう日があってもいいよね」と肯定をしてあげる

③-3. →視点を変える

例えば

 ・行くのが面倒くさい→「なぜ面倒くさいのか」を掘り下げると良いのですが、大抵ただ単に面倒くさいだけではないでしょうか。認めましょう。これはただの言い訳です^_^;

 ・他にしたいことがある→「生理だし、今日はそれをしよう」と良い機会だと捉える

 ・今日は疲れた(※)→言い訳ではなく、身体の声がきちんと聞こえているということ。身体のために休む。そして、「いつもありがとう」と身体に感謝をしましょう。

※疲れている場合、トレーニングに行っても集中ができなかったり、それによって怪我をする可能性があります。

また、集中ができずにベンチや機械に座ってぼーっとしたり、ずっとスマホを触るのは、そこを使用したい他の方の迷惑にもなります。 

 

生理で体調不良になるのは仕方ありません。

いつも通りにいかなくてもあなたのせいではありません。

「言い訳でしょ」と思ったら、どうしてそう思うのかをとことん掘り下げて、「いつもはできないことに充てる時間ができる」「身体を休める良い機会」などと考え方を変えると、「言い訳」ではなく「やりたいこと」になります。

 

今回、生理を例に「言い訳」についてお伝えしましたが、自分と対話をし、「言い訳」ではなく「やりたいことをしているんだ」と考えを変えることができると、生理中ではなくても自分の時間の使い方を認めてあげることができるようになるでしょう。

たれおとブログ

アラサーのたれおです。

たれおですが、女です。

 

今まで自己否定や人生への悲観、他者への攻撃などドロドロとした負の沼に陥っていました。

 

筋トレを始めて、参考のためにInstagramでフィットネスのアカウントをたくさんフォローしたのですが、皆さんが自分に自信を持って、自分や人生に対してポジティブな姿勢で向き合っているのを見て、初めて「こういう世界があるんだ」と知りました。

彼女たちをフォローすると、フィットネスとは関係がないけれども“Self-Love(セルフラブ)”の大切さを伝えている方々にも繋がり、その時に初めてその言葉を知りました。

 

筋トレ歴は4年ほどになりますが(ぼちぼちです^_^;)、正直、彼女たちのような姿勢ではありませんでした。

相変わらず人生に対して悲観的で、自己否定と嫉妬、考え方が異なる人への攻撃など、他者に噛みついてばかりで、逆に噛みつかれると怖くなる→攻撃の悪循環でした。

そのせいで傷つけてしまった方達はたくさんいると思います。

本当に申し訳なく思っています。

 

大学を卒業した後、精神疾患の療養のため無職だった時期が合わせて2年半はあるのですが、気分の波が安定した今、人生で立ち止まる時期が欲しくて、現在はまた無職になりました。(心療内科にはまだ通っています)

元々派遣社員だったのですが、契約満了となったためそのまま就業をお休みしています。

地方に住んでいて、元々求人数は多くない上にコロナの影響でさらに求人数が減り、私の勤務条件に合うお仕事がありません。

それは私にとっては、良いタイミングなのです。

 

「自分は将来どうしたいのか」「自分は何になりたいのか」と小学生の頃から自問自答し続け、答えは見つかりませんでした。

この1年、コロナは全く関係がないのですが、自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、フィットネスアカウントを参考にする中で再度考えるようになり、答えは見つからずともなんとなくぼんやり感じていることがあるので、無職を期にブログにしようと思いました。

 

このブログは考え方や健康のことなど色々書く雑記ブログになります。

スピリチュアルな内容も含まれると思いますが、あまりそこへ傾かないように気を付けます。

ブログを通して私も学び、成長をしたいと思っています。